緑の墓

 

 彼らは自分たちの像を石には彫らない、木に彫るのだ。

     アーシュラ・K・ル・グィン 『世界の合言葉は森』より 小尾芙佐

 

 

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 『石』という《素材》ーーいや、《概念》と言う表現の方が、しっくりするかもしれませんーーが、《信仰》に於ける偶像の材料とされたり、或いは、《信仰》の対象自体として扱われたりする理由を、『石』が兼ね備える特質の一つである〈不変性〉に観るという考え方があります。

 その《素材》としての特質である堅固性や、太古よりずっと同じ『形状』の儘であるという永続性から、〔変わらない=不死〕という図式を成り立たせる考えを始め、もっとダイレクトに、〔死〕の象徴として『石』を捉え、故に敬うとする見方、或いは、『石』の『形状』を何物かに見立てて、それを永年に亘って崇拝するうちに、ひとつの《信仰》として定着する様式など、何れの背景にも、『石』の〈不変性〉が色濃く影響を及ぼしていると言えます。

 一方、『木』にも、樹齢数百年と言われる巨木が、世界中に存在します。中には、樹齢2000年とも、4000年とも言われる古木すらあると言われています。そこに〔不死〕を垣間見る事は、十分に可能な筈です。ですが、『木』或いは『樹』に求められたモノは、『生』に因んだ〈神性〉でした。春、若葉が芽吹き、夏、青々と緑葉を茂らせ、秋、紅葉に映え、冬、落葉の時を迎える。けれど、再び、春の訪れとともに、若葉を芽吹かせる。このサイクルに、人々は〔不死〕ではなく〔生生〕のみを観ました。

 

    

 

 何故なら〔不死〕とは、謂わば『死』の延長に在るのであり、〈死なない〉事は〈生きている〉事と、イコールとは限りません。死んだ儘、生きている。その場合もまた、〔不死〕だからです。『生』の延長は、飽く迄も『生』であって、『死』が訪れれば、どういう形で在れ、『生』は、そこで一旦、リセットされます。そこから再びの『生』が芽生えるからこそ、『木』は或る種の超自然的な『生』存在として、人々に敬われたのです。

 だからこそ、〈樹木〉を信仰の対象とする場合、万物全般に霊的存在が宿るとする、所謂《精霊信仰(アニミズム)》を根源として、神が降りる神聖な事物と観る〈神籬(ひもろぎ)〉或いは〈依代(よりしろ)〉としての役割を、〈木〉或いは〈樹〉に担わせました。

 

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 『石』も、当然ながら、《精霊信仰》の影響と〈神宿り〉的な側面を併せ持っています。所謂〈磐座(いわくら)〉と称される『石』或いは『岩』の《御神体》が、それです。また、陰陽石に代表される 〈✕✕石(岩)〉のように、動物や人間、或いは人間の身体の一部や空想上の生き物などに見立てる〈形状石〉にも、同様の成立ちが窺えます。

 ですが、『石』への《信仰》に比べ、『木』或いは『樹』への《信仰》は、宗教的根源は同じでありながら、我が国に於いては、より構造的な発展を遂げました。〈神籬〉そして〈依代〉として用いられた『木』は、やがて『柱』という代替的な概念となって、流布していきます。神社仏閣に於ける『宗教建築』の要材として活用され、また、神様を『一柱』、『二柱』と数えたり、『柱』に主軸を置いた式典や祭が各地で開催されたり、或いは、一家の主を『大黒柱』と称したり、その用法は、精神的にも、実際的にも、私たちの生活に、深く浸透していきました。

 

 

 

 現在でも国土の約三分の二が森林で覆われている島国に於いては、『木』が、人々の生活に関わる割合は、『石』に比べ、格段に高かったでしょう。燃料、住居、日用雑貨、農具、遊具など、『木』は、この国の生活全般に広く用いられ、同時に、心情的にも、強く、密接な関係性を産むことになったのです。

 加工がしやすく、また、様々なサイズが簡便に手に入るという『木』のコストパフォーマンス性の高さは、矢張り、『石』とは比較にならなかったと思われます。かと言って、『石』が『木』よりも、希少性が高いと謂う訳ではなかったのも事実です。火山大国でもある日本に、『石』は豊富に有りました。〈石工〉と呼ばれる人々も多く存在していましたし、その流れは〈墓石〉という形態となって、今も、脈々と受け継がれています。

 

            

 

 

 ですが、(石炭や鉄鉱石、或いは石油などの特殊な存在は例外としても)燃料にはならず、日用品としては、『木』に比べると矢張り、加工し難く重量的にも重い『石』は、日本では、特に敬遠されました。また、火山大国であるが故に地震も多かったこの国では、崩れ易い『石』は、住宅にも不向きでした。堅牢性が求められる城壁や堤など土木分野での活用はされたものの、より生活に密着した使われ方に於いては、『木』の貢献度には、到底、及ばなかったのです。

 であるならば、この国に於ける『石』への《信仰》とは、一体、どんな情念に基づいたものだったのでしょうか。

 

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 前述した〈墓石〉の歴史には、『仏教』が影を落としています。我が国の〈墓石〉の原初は、『遺体』即ち『〈死〉に対する恐怖』を隠す《蓋》でした。やがて、それは〈目印〉という目的を持つようになり、更に進んで〈権力誇示〉という行為へと結びつき、《墓標》というより、或る種の『建築物』として築かれていきました。

 〈埋葬〉や〈墓〉に対して、その考え方や建立の仕方に規律・制限が与えられ始めると同時に、《死者=仏》という概念が『仏教』を通じて中国より伝来すると、〈墓石〉は限られた特権者の持ち物から、徐々に庶民の間にも広がりを見せ、また、それまでの〈目印〉や〈権力誇示〉と言った外観的意味付けから、《供養塔》としての機能を持つ、埋葬する側の精神面を投影させた存在へと変化します。

 実は、この流れの中にこそ、『木』と『石』が内包するに至った《信仰》への《概念》差が存在するのではないかと考えます。

 

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 冒頭で述べた通り、『石』の《信仰》には、その〈不変性〉という特質が強く影響しています。一方の『木』には、〈連環性〉とでも呼ぶべき、常に《新しい存在》へと生まれ変わる〔生生〕のサイクルに対する驚異、或いは畏怖(若しくは憧憬)が、その《信仰》を支える精神的母体として人々の心に根付いていました。

 我が国古来の〈神道〉では、『禊(みそぎ)』が象徴するように、〈新しき清浄成る存在〉が尊ばれました。従って、常に新しく再生する『木』は、持って来いの存在だったでしょう。また、自然を敬う宗教形態を持つ〈神道〉にとっては、どちらかと言えば、〈無生物〉の『石』よりも、〈生物〉の『木』への愛着が勝ったとも考えられます。これらの特質に加え、〈神仏習合〉という我が国特有の歴史的経緯が拍車をかける格好で、『木』は、日本の神社仏閣の中枢に、深く入り込んでいきました。

 では、『石』は、我が国の宗教に於いて、どんな立ち位置にあったのでしょうか。
 確かに、日本の〈信仰〉の中では、〈主〉的立場は『木』で、『石』は〈従〉に甘んじざるを得なかったのだと思います。何しろ、〈木〉偏に〈主〉と書いて、『柱』と読むくらいですから(まあ、余り、関係なかったかもしれませんね。失礼しました)。ですが、反面、『木』は、余りに日本の〈信仰〉に深く入り込んでしまった所為で、その実像が、やや見え難くなってしまった感があります。『森に木を隠す』ではありませんが、眼前に広がり過ぎて、ごく一部の象徴的な祭事に於いてしか、『木』の宗教的存在を認識する事は能わなくなってしまったのではないでしょうか。
 けれど、『石』は、自らの宗教的存在を、未だに強く放射しています。〈墓石〉〈石仏〉〈石塔〉〈道祖神〉或いは、〈碑〉。考えようによっては、〈木〉よりも、強い〈信仰〉力を維持している、と言えるのではないでしょうか。
 その一つの表れが、《境界線上の守り主》たちなのです。
 

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