境界線上の守り主

 

 『南割』という地名は、何に、由来するのでしょうか。

 〈割〉という言葉には、御存じのように、「分割する」という意味があります。

 割り算、割り合い、割り振り、分割。

 もともと、〈割〉は、「(刀で)切り分ける」という成り立ちを持つ字です。

 『刂(りっとう)』は、『刀』が変化した文字であり、『害』は、「そこなう」という意味合いを有しています。

 ちょっと横道に逸れますが、『害』の原義は、「頭に被り物を付けた様」から、「かさ」とか「おおう」という意味を表し、『蓋』の原字でした。それが、何時しか原義が廃れ、『割』に通じるようになり、「そこなう」という意を持たせたと謂います。確かに、『刀』で割られれば、幾ら、兜のような「被り物」をしていたとしても、無傷ではおれなかったのでしょう。

 ソ連の文学理論家ヴィクトル・シクロフスキーが云う所の、《かつて語幹に宿っていながら現在では失われ擦り切れてしまったイメージ》の美しさほどではないにしろ、文字とか言葉とかは、実に、奇妙な振舞いを私たちに垣間見せてくれる存在である、という格好の証左ではありましょう。

 おっと、閑話休題

 さて、『南割』という地名は、意外とあちらこちらで使われているようです。

 例えば、我が国に伝わる《七不思議》物のひとつである『本所七不思議』にも、この名称が出てきます。

 『本所七不思議』は、東京都墨田区に江戸時代より語り継がれる、所謂《都市伝説》です。『七』と銘打ってはいるものの、合算すると九つの話が存在し、それらは、浮世絵や小説の題材として、多く取り上げられています。

 その中のひとつに『消えずの行燈』若しくは『灯りなしの蕎麦屋』という話があります。

 前者は、夜泣き蕎麦屋の屋台の行燈が、主もいないのに煌々と灯り続け、油が切れる様子もない。客が火を消そうとすると、善くない事が起きる、という物。後者は、その逆バージョンで、行灯の灯っていない蕎麦屋があり、客が待っていても、いつまでたっても店主はやってこない。気を利かせて行灯を灯すと、その者に不幸が降りかかる、といった内容になっています。

 この『蕎麦屋』があったのが、江戸時代、雨水等の下水を流す掘割として開発された《南割下水》近辺であるといいます。

 

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    『本所七不思議之内 無灯蕎麦』(燈無蕎麦) / 昇旭斎国輝 画

 

 

南割下水

            【明治41年頃の南割下水】

 

  この『南割』の〈割〉は、「掘割」の〈割〉と同義語で、明暦3年(1657年)に起きた明暦の大火(所謂《振袖火事》)のあと、万治2年(1659年)に雨水を川に排水するために掘られた堀全般を指す言葉でした。因みに、それらは『割下水』と呼ばれ、『南割下水』を筆頭に、『東中割下水』『北割下水』などと名称されました。

 東京という土地は、海に面しているという立地的特徴から、江戸の頃より水上輸送・交通が発達し、それに伴い、掘割や埋め立てによって運河網が、常に整備されてきました。

 一方、駒ケ根という地域もまた、30余もの渓流を抱く中央アルプスからの豊富な水に恵まれ、水路や掘割が、実に多い土地です。『南割』以外にも、『北割』『市場割』『中割』といった地名が散見し、近辺に用水路や掘割、或いは小川が見受けられます。このことから、『南割』の〈割〉は、ほぼ間違いなく、「掘割」の〈割〉を表すのではないかと考えられます。

 因みに、私たちが暮らす飯島町田切の周辺にも、水路や掘割は、無数に存在します。家のすぐ横を走る水路は、こんな感じです。

 

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 ですが、地名の〈割〉が持つ意味には、もう一つ、考えねばならない点があります。

 

 突然ですが、日本一長い地名ってどこでしょう。

 

 愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割

 

 だ、そうです。

(但し、2014年11月時点での正確な情報は分かりません。若しかしたら、住居表示の関係で変わっているかも…)

 

 この地名の最後尾『南ノ割』の〈割〉は、文字通り、「分割」を表しています。『南ノ割』の前に付いている『ヨタレ』は、イロハ四十八文字で土地を区分けした為に付された文字であり、『竹之郷』(これも、松竹梅で区分けした為に付いた呼び名だと言います)という場所をイロハから順番に銘打ち、その内の『ヨタレ』という土地を更に南と北に分けた、そういう意味が、この『南ノ割』にはあります。

 ここで付けられた〈割〉は、『掘割』と言った役割や名称に因んで付けられたのではなく、或る種の《境界線》として名付けられたと言えましょう。 

 確かに、《地名》とは、土地を象る閉じられた《境界線》であると訳せなくもありません。《境界線》を具体的な形態で明確化させるには、壁や塀、柵、ロープ、或いは、法的な縛り等を含め、様々な方法がありますが、人間が感知し得る形式で整備するには、矢張り、物理的に限度があります。

 これは飽く迄も私見ですが、今もなお、非常に曖昧に生らざるを得ない《境界線》を、極力、視覚化させる為に、《地名》というシステムは機能しているのではないでしょうか。と同時に、その《地名》を、為るべく目に観える形で置き換えやすいように、実際の《境界線》を定める時に、例えば、河川や山稜、谷間、道、そして、勿論、掘割や用水路が用いられたのかも知れません。

 その《境界線》が隔てる〈内〉と〈外〉を守る存在が『石碑』等の《道祖神》なのではないか。

 そんなふうに、想えるのです。