もう、獏には頼らない。

 

 今朝、奇妙な夢の記憶と共に、目覚めました。

 いや、奇妙という表現が、正しいか、どうか。

 私は、何度も書いてきたように、よく、嫌な夢を見ます。

 

 シチュエーションは、多少、違いますが、テーマは、大体、一緒。

 

 何かが分からなくて、凄く困る。

 

 例えば、

 

①時間割(或いは、曜日)が分からなくて、どうしても、授業に使う教科書が揃わない。

 

②時間が迫っているのに、どうしても、目当ての部屋(或いは、人)が見つからない。

 

③もうすぐ本番(或いは、稽古)なのに、どうしても、脚本(或いは、セリフ。たまに、自分の役)が見つからない(若しくは、思い出せない)。

 

 いずれも、学校だったり、会社だったり、その両方が、ごっちゃになった場所で起こります。

 

 夢判断の趣味はないので、特に、よく見る理由は考えたりしませんが、なかなか、寝ざめは悪いです。

 

 子供の頃から、どちらかというと、寝相が悪く、魘されて飛び起きたり、叫んだり、ベッドの上を、ぴょんぴょんと飛び回っていた事もありました。

 

 結婚してからは、特に深酒をした時は酷いらしく、奥さんには、散々、叱られたものです。

 

 さて、今朝の夢の記憶ですが、これが、何故か、ちゃんと授業を受けていたのです。大学の、メディア芸術の授業でした。如何にも、メディアクリエイターっぽい若者が、あれこれと教えてくれて、ちゃんとノートも教科書も、私の前には、揃っていました。

 

 こんな筈はない。

 

 そんな奇妙な思いで、目覚めの時を迎えたものです。

 

 だから、と言うのも、なんなんですが。

 

 久しぶりに、秋晴れの一日でした。

 

 気持ちが好かったので、図書館に本を返しに行ったついでに、黄葉の図を一枚。

 

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 夕方には、お知り合いの方々から、こんな素晴らしい秋の味覚を頂いて。

 

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 で、ちょっと、考えました。

 

 今朝の夢の記憶の理由は、

 

 この地に引っ越して来た時以来、ずっと抱え込んでいた〈不安〉が、少し薄らいだからかな、と。

 

 いろいろな方々との出会いの中で、さまざまな形で受け取った心遣いが、知らず知らずのうちに、私を、変えているのかな、と。

 

 週明けから、いよいよ、仕事探し、本格化です。