久遠に臥したい。
今朝、寝床から見上げた風景。
見た目、晴れ。
秋愈々、深まりし遅き朝。
此処の所、やけに、寝ている間に浮上してきたと思しき〈不安〉を引き摺った儘、目を覚まします。〈不安〉は、覚醒するにつけ嘘のように掻き消えてしまうのですが、その奇妙な安心の獲得は、返って〈不安〉を際立たせてしまうようで、脳髄の片隅から〈不安〉が消え行く淡いプロセスを知覚している間じゅう、ついつい、その〈不安〉を分析してしまったりします。
さて、問題です。私は、この文章の中で〈不安〉を幾つ書き並べたでしょうか。
正解は、6つです。
などと、そんなしょーもないクイズをやっている場合では、ありませんでした。
失礼しました。
起床後、玄関先から撮りました。
〈不安〉の根源。
それは、恐らく、自分が何故、このような場所に寝起きし、朝の光景をカメラに収めて悦に入ってるか、という点にあるのだと思います。
私は、此処で、何をしているのでしょう。
そう自分に問いかけても、何も答えが返って来ない。
答えを返す材料が何一つない。
自分の、拠って立つ所が、まるで定まらない。
確かに、この地へと引っ越して来た理由に、間違いはないと思っています。
【これまでのあらすじ】
そう遠くない将来、明らかに経済的に苦しくなる。そう判断した私たちは、いずれは都会を去らなければならない、と決断を下した。実家に住む老親の行く末が心配ではあったが、あれこれ策を弄した結果、ふたりにはふたりの人生がある、と半ば諦め、半ば『借地の更新』という物理的経済的介入に望みを賭け、取り敢えず、残された年数を今まで通りの生活でしのいでいた。その矢先、妻の体調が一気に悪化したのであった……。
もともと、元気溌剌というタイプではなかった私の妻は、頭痛、難聴、目まいといった症状をたびたび繰り返しながらも、毎日が早朝出勤の私と共に起き、しっかりフルタイムで働いてくれていたのでした。
でも、やっぱり、無理が祟ったのでしょう。
今年2月、私が働く学生食堂の事務室に妻から電話がかかってきました。
めまいが酷くて上手く歩けないかもしれない。
一緒に自宅まで帰って欲しい。
妻が、そんなふうに弱気を見せるなど、先ず在り得ない事でした。
有り難い事に、私と妻の職場とは、目と鼻の先でした。
ちょうど仕事終わりだった私は、急いで、妻を迎えに行きました。
気丈に振舞ってはいたものの、妻は、以後二度と、それまで通りの仕事は出来ませんでした。
妻が、仕事を辞める決意をすると同時に、私も、勤めていた学生食堂の主だった人々に、退職する旨を伝え始めました。
或る程度の細かな事情は話しつつ、要は、「地方へ引っ越します」と。
だから、「仕事を辞めます」と。
親にも、伝えました。
「引っ越すよ」と。
長野へ。
そう。
長野へ。
その地は、妻が、二十代前半までずっと暮らして来た場所です。
こうして、私たちの《D計画》は、それまでの『現状把握と分析・シミュレーション』からなる《D-1》から、実質的な『脱出・移住』を執り行う《D-2》へと移行しました。
さようなら、都会。
でも、奇妙な事に、私には、未練は毛筋ほどもありませんでした。
薄情者。